【ふくしまを歩く】 前沢曲屋集落 ~南会津町 舘岩地区 ~
郡山市から、天栄村を抜けて下郷町、そして田島町を通り、車で2時間30分。
国道352号に入り、川沿いを走っていくと、道路沿いに木の工房がいくつかある。
軒下に山積みの薪が並び、木と共に生活している様子がうかがえる。
この先に、前沢曲屋集落がある。今もここには人々暮らしている。

前沢集落に入ると、水車と杵のバッタンという音と馬頭観音、馬力神が
出迎えてくれる。

前沢曲家集落は、文禄年間(1592年~1595年)に、只見川流域を拝領した
横田城主の家臣が、移り住んだとされるのは始まり。
「中世に会津武士が拓いた集落」として言い伝えられている。
曲屋というのは、L字に曲がった住まいのこと。突出した部分は、当時、農耕や
運搬に欠かせない大切な馬や牛がいたところ。その奥が人間の住まいになって
いる。同じ屋根の下に、人間と同じように馬や牛が暮らしていた。
人と馬との共存するところで、信頼関係すら感じられる。

突風で倒れたという集落の守り神だった樹齢800年の大杉の後を見ていると、
集落に住む男性が声をかけてくれた。
「時間あるなら映像があるけど見るかい。自由にあがっせ」
そう言うと、また農作業に戻っていった。
この地は、豪雪地帯、外圧厳しい環境の集落の暮らしがあった。
冬は雪に囲まれる。薪は、暖を与え、湯をもたらす。
木こりを生業にする高齢の男性が、こう語っていた。
「斧で木を切り倒して、自分たちは木の命をもらう。
木がないと自分たちが生きれないんだ。」
この地では、トチ餅を食べる。祭りのお供え物としても作る。
縄文時代から食されていたという栃の実。
食するまでには手間がかかるが、この実のあく抜きには、木灰を用いる。
木は、燃え尽きてもなお新たな食を生み出してくれる。
雪に囲まれた里山、ここには生死の境界が近くに感じる分、
日々の丁寧な暮らしがある。
集落のある曲屋には、人々が受け継いできた農具が並んでいた。
文字の記録ではなく、農具が人々の生活を記憶していた。
帰り際、農作業の手を止めた男性から、
「ここのだから、持っていきっせ」
と水をいただいた。
これ以上の説明もない。
寡黙さが優しさを一層引き出していた。
<前沢集落>
国道352号に入り、川沿いを走っていくと、道路沿いに木の工房がいくつかある。
軒下に山積みの薪が並び、木と共に生活している様子がうかがえる。
この先に、前沢曲屋集落がある。今もここには人々暮らしている。

前沢集落に入ると、水車と杵のバッタンという音と馬頭観音、馬力神が
出迎えてくれる。

前沢曲家集落は、文禄年間(1592年~1595年)に、只見川流域を拝領した
横田城主の家臣が、移り住んだとされるのは始まり。
「中世に会津武士が拓いた集落」として言い伝えられている。
曲屋というのは、L字に曲がった住まいのこと。突出した部分は、当時、農耕や
運搬に欠かせない大切な馬や牛がいたところ。その奥が人間の住まいになって
いる。同じ屋根の下に、人間と同じように馬や牛が暮らしていた。
人と馬との共存するところで、信頼関係すら感じられる。

突風で倒れたという集落の守り神だった樹齢800年の大杉の後を見ていると、
集落に住む男性が声をかけてくれた。
「時間あるなら映像があるけど見るかい。自由にあがっせ」
そう言うと、また農作業に戻っていった。
この地は、豪雪地帯、外圧厳しい環境の集落の暮らしがあった。
冬は雪に囲まれる。薪は、暖を与え、湯をもたらす。
木こりを生業にする高齢の男性が、こう語っていた。
「斧で木を切り倒して、自分たちは木の命をもらう。
木がないと自分たちが生きれないんだ。」
この地では、トチ餅を食べる。祭りのお供え物としても作る。
縄文時代から食されていたという栃の実。
食するまでには手間がかかるが、この実のあく抜きには、木灰を用いる。
木は、燃え尽きてもなお新たな食を生み出してくれる。
雪に囲まれた里山、ここには生死の境界が近くに感じる分、
日々の丁寧な暮らしがある。
集落のある曲屋には、人々が受け継いできた農具が並んでいた。
文字の記録ではなく、農具が人々の生活を記憶していた。
帰り際、農作業の手を止めた男性から、
「ここのだから、持っていきっせ」
と水をいただいた。
これ以上の説明もない。
寡黙さが優しさを一層引き出していた。
<前沢集落>