【開催報告】10/19「ふくしま、ひとしずくの物語」-再生へ祈りを込めて-
10月19日(日)、秋晴れに恵まれた東京、豪徳寺。当会にとっては第2回の東京公演。
今年は、編集工学研究所、松岡正剛校長のご協力のもと「ゴートクジISIS館 本楼」で、
「ふくしま、ひとしずくの物語 -再生へ祈りを込めて」を開催しました。

「ゴートクジISIS」には、6万冊にわたる蔵書があり、「本楼」は、高さ4メートルの書棚に2万冊の書籍を集めたスペース。本棚には福島の写真パネル、中央におかれたブビンガのテーブルには、3.11に関連する本やメンバー推薦の本が並びます。

「イノリとミノリ」というテーマで、花のしつらえを担ってくださったのは斎藤智子さん。

「ゴートクジISIS館」の扉を開くと、本の茶室空間「井寸房」があります。タイトルにもなった
松岡校長の「滴」の記事が来場者を出迎えます。

開演前、松岡校長から、言葉にしてこなかったものを伝えるという問いがある、という言葉をいただきます。
◆13:30 受付開始
「3.11を考えたい、何が出来るか一緒に考える時間をとりたい」と、当日は、朝から
開演直前までメール、電話での申し込みが入りました。

受付には、今日のお手伝いのスタッフ。ふくしまの案内とプログラムを手渡していきます。
◆14:00 「ふくしま、ひとしずくの物語」開演
【オープニング映像 「フクシマからふくしまへ」】
ふくしま再生プロジェクトの1年の活動記録からスタート。津波被災地、旧警戒区域、仮設住宅訪問、浪江町、大熊町、富岡町の仮設住宅でのチャリティコンサートの写真映像で、プロジェクトの1年の歩みを振り返ります。この映像にある、富岡町の方の「富岡に帰りたいです。家に住みたいです」というメッセージ。この切実なしずくをどう受け止めていくか、プロジェクトの問いです。
【開会の挨拶とふくしまの今】

鈴木より、今まだ町や人々の分断が続き、避難生活を余儀なくされる12万人がいる福島の現状を伝えます。「フクシマ」や「3.11」と記号化されることでこぼれ落ちる福島の思い、避難している人は、かつての故郷が彼方の向こうになってしまった切実なしずくについて話しました。
【代表 田母神顯二郎あいさつ】

代表 田母神顯二郎からの挨拶。福島は、切実で、深刻な「しずく」に満ち溢れている。悲しみの滴、怒りの滴、諦めや絶望の滴・・・、こうした言葉にならないしずくを受け止め、少しでもよい方向へ流れを変えたいと走り続けてきたメンバーの思いを話す。そして源流というもう一つの大事なしずくにたどり着き、今日はそれを届けていきたいと、語った。
【松岡校長メッセージ】

私たちの中には、平時と有事が入れ子状態になっている。福島にもたらされたのは、未曽有のものだが、この有事は一人一人の内にあるもの。これが、突然一緒にやってくると解決不能になってしまう。それが福島に起きてしまった。
一滴のしずくは、どこかに必要なものとなる。
日本には、たくさんの小さなものが集まって、全体を組み立てているものがある。
「一滴のしずくが岩をも穿つ」、古今東西で続いている、大事な見方で、素晴らしいもの。
このプロジェクトは、「しずく」をいろんなものにしていって欲しい。と語りかけてくれた。

松岡校長の言葉のしずくに、本楼は包まれていきます。
【 ふくしまへおくる言葉 インタースコア】

司会の森井一徳から、「ふくしま」を我々は彼方と考えていない。自分たちの中にも、忘れてしまったこと、失ってしまったものがあり、誰もが「福島」を持っていると思う。喪失と再生は繋がっているもので、ふくしまを編集のきっかけにして、私たちも再編集へ向かっていける、と活動を通して感じたことが語られた。
また、「ふくしまへおくる言葉」について説明。今日のひとしずくの物語を体験することで、よりリアルに、より微細に、この場で出会ったふくしまと関係性を見つけて、ここから福島へおくる言葉をつむぎたい。東京と福島を結ぶ方法を説明した。
◆14:40 第一部 「ふくしまに歌う」
【口笛とピアノの協奏】
今年7月、浪江町仮設住宅チャリティコンサートで演奏したくださった口笛奏者 柴田晶子さん、ピアニスト 松田光弘さんをゲストに招き、異郷へ誘う口笛の演奏を披露。本楼の空間に風が吹きます。

国際口笛コンクールに2回優勝。プロの口笛奏者として日本でも数少ない存在の柴田さん。能舞台、寺院、森の中など、様々なステージにも立ち演奏活動を続けています。この日は、本楼がステージ。震災関連や福島に関する本に囲まれて、遠く福島を思い演奏。柴田さん自身も、震災後、福島県郡山市に住んでいます。福島に住んで大丈夫だろうか、自分で情報を集めて、大丈夫と思って福島に来たそうです。

ピアニストの松田さんは、その場の思いを指先にのせ、繊細な音色を奏でます。再現する音楽ではなく、人の感情を掬い取ることができる方です。この日は、柴田さんのために作曲した「ココロノシズク」「つむぎ風」「水中花」も演奏。福島の哀切を引き受けて演奏した柴田さんと松田さんの思いは、月灯りの幻想的な空間の本楼に響き渡り、心に染み入るものでした。
【『智恵子抄』と『万葉集』の朗読】

劇団百景社所属の俳優 鬼頭愛さんによる『智恵子抄』より「あどけない話」「樹下の二人」「山」の朗読。抑揚がありながら、行間を託す声に聴き惚れながら、遠く安達太良山、磐梯山を忍びます。

解説を担うのは米山拓矢です。二本松は、高村智恵子のふるさと。高村智恵子は、詩人で彫刻家の高村光太郎の奥さんで、『智恵子抄』の智恵子その人です。ふくしまの名峰・安達太良山は、かつては濁音を入れずに「アタタラヤマ」と呼ばれた。頂上がぽちっと盛り上がっていることから、乳首山とも呼ばれる。アタタはアイヌ語で「乳」という意味。 まさに「母なる山」といえると語られた。
さらに、山について、松岡校長の『花鳥風月の科学』の「第1章 山」の中から一部を紹介。
|・稲作水田文化がさかえる前は、山はまさに日本の原郷だったのです。
|・日本にも古くから「山中他界」という観念がありました。
| 人々は死ぬと魂や山の彼方に飛んでいき、そこで往生をとげるという考え方です。
|・山はさまざまなイメージの母型なのです。
|(松岡正剛『花鳥風月の科学』「第一章 山」)
山とは何か、ここにどんな意味があるのか、考える時間にもなっていった。
◆15:40 第二部 「ふくしまの姿見」

8月に2日間で550キロの福島を撮影した青森出身の岡村豊彦から、「青森は東北と言っても震災の被害が少なかった。それが宮城福島の人たちへの申し訳なさがあり、ずっともやもやしていた。実際に福島を見てみよう」と、撮影のきっかけが語られた。

「福島の旧警戒区域を訪れ、3年経って日々復興と言われることもなくなり、福島は落ち着いているのかと思っていたら、津波の後もそのままで、誰も住んでいない。一方、2日目の福島撮影は、奥会津の水の清らかさ、生命力を感じるものだった」と語った。

映像に見入り、福島の今の現状に耳を傾ける参加された方々。

鈴木からは、今年5月、自宅も除染し、その除染ででた行き場のない土が今も庭に埋まっている事、それは、私たちにとって、汚染土ではなく、先祖から受け継いだ生成する力のある土であること。敗者の歴史、災厄を乗り越え生き抜いてきた先祖たちの残したものを受け継いでいく。奥会津の水、山、木々は、震災後言葉を失った私の対話の相手になっていて、そこには先達の面影があったことを話す。

福島の思いのしずくを受け止める真剣なまなざし。
◆16:40 第三部 「ふくしまへの返し歌」

第一部、第二部を受けて、参加された皆様から寄せられた「ふくしまへおくる言葉」をメンバーから紹介。
● 子どもの頃の10年間を東北で過ごした。
だから私のしずくの何分の1かは、東北でできている。
必ず身体の中にふくしまのしずくを持っている。
その滴りの音に耳を澄ますこと。
東京の小さな1滴を集めて
ふくしまの哀しみの大地をわずかでも
うるおし、新たな芽ぶきにつながれば
● 原発の被災地「フクシマ」というステレオタイプで見方を固めてしまわ
ないよう、やわらかく、ふくしまを応援していきたいです。
● 除染のための黒いビニールに包まれた「行き場のない土」は、いま場を
奪われた土は、ふくしまで失った何か、私たちがとっくに喪ってしまって
(うばわれて)いた何かのことを問うているようにも思えてきました。
● 「ふくしま」を語ることを恐れてはいけない、忘れてはいけない!
時も場所も記憶も「日本」も見つづけ、共に往還しつづけることなのですね。
● 海やまのあいだにいるわれわれは、ひとしくジプシーなのですね
土を愛し、僕も、誰にでもできる口笛を吹こう
下手クソでもいいから口笛を吹こう
風をメロディーにかえることは、木々や水たちに習うのがいい。
それをふくしまが教えてくれている。
われわれは忘れない。
3.11を忘れないのではない。
3.11をおもいだすことを忘れない。
全てのメッセージが、心打たれるものでした。ありがとうございました。
【 再生へ祈りを込めたメッセージ】

代表 田母神顯二郎から再生への祈りが語られた。「我々は一滴のしずくである。編集は一滴のしずくから始める。一滴のしずくのなかに、全てのものがある」と松岡校長の言葉を紹介。全ての歴史、全ての物語、発見すべきすべての関係性が、一滴のしずくにあるといえる。この1年、プロジェクトメンバーと東北、福島を語り合い、ふるさとや原郷を探す旅を続けた。これも私たちにとっての一滴のしずくである。その中で、喪失と再生は繋がっているのではないか、私たちが見てこなかったものに、失われつつある人間の原郷があるのではないかと考えた。
ベルクソンの言葉から、
「記憶は、物理的な空間を持たない、記憶には経験したことはもちろん、経験しないないことも含め、すべてのことが入っている。そうしたすべてのことは、記憶の中で、同時に隔てなく共存している。」
物理的な距離、時間の経過を分けることをせず、同時にモノゴトを見ると分け隔てない世界に通じることが出来る。喪失と負のしずくに満ちている福島の再生のためには、理屈ではなくいろんなことをやる必要があるが、この一滴を大切にしていきたい。と、切実を引き受けた思いが語られた。
【松岡校長からメッセージ】

自分の中の内風景を一新する時がある。内なる3月11日を誰でも持っている。父親が亡くなり、いろんな本を読んでも、書いていても間に合わない、その時に行ったのが奥会津。そこは、時の流れが、山、水、とともにあり、自分の中の最も高速なものを走らせないと滔々たるものに対応できない。滔々とするからゆっくりすればいいのではなく、一か月に渡り、緩やかな流れの中で、高層意識を持つか、ということだった。
奥会津を選んだのは、陸奥がアウトオブスペースだったからです。日本の古代の国家は、大和朝廷で、大和という境界を作る。白河の関から北を陸奥となる。なぜ福島は、日本を分断した地にいたのか、そういう場所にいたのか。
私たちは、百年一滴の境界線を、沢山持つが忘れている。京都には境界のタブーがあった。潜んでいた境界を越えなければならないとも思い、奥会津に向かわせた。それが最も尊いものに向かっていった。
創は、絆創膏の創である。記憶を刀で潰していく、これが創であって、クリエイティブである。
今は、百年一滴が見えている。自分の中の百年一滴、日本の中の百年一滴、普段見えなかったものを見ていく。と語りかけてくれた。

松岡校長から「うつくしい一刻だった」と言葉をいただきました。
参加されたみなさま、出演くださったみなさま、編工研のみなさま、
思いを寄せてくださったみなさま、本当にありがとうございました。
本楼は、切なく香ばしい泣きたくなるほど美しい空間になりました。
みなさまに感謝いたします。ありがとうございました。
レポート 鈴木康代
今年は、編集工学研究所、松岡正剛校長のご協力のもと「ゴートクジISIS館 本楼」で、
「ふくしま、ひとしずくの物語 -再生へ祈りを込めて」を開催しました。

「ゴートクジISIS」には、6万冊にわたる蔵書があり、「本楼」は、高さ4メートルの書棚に2万冊の書籍を集めたスペース。本棚には福島の写真パネル、中央におかれたブビンガのテーブルには、3.11に関連する本やメンバー推薦の本が並びます。

「イノリとミノリ」というテーマで、花のしつらえを担ってくださったのは斎藤智子さん。

「ゴートクジISIS館」の扉を開くと、本の茶室空間「井寸房」があります。タイトルにもなった
松岡校長の「滴」の記事が来場者を出迎えます。

開演前、松岡校長から、言葉にしてこなかったものを伝えるという問いがある、という言葉をいただきます。
◆13:30 受付開始
「3.11を考えたい、何が出来るか一緒に考える時間をとりたい」と、当日は、朝から
開演直前までメール、電話での申し込みが入りました。

受付には、今日のお手伝いのスタッフ。ふくしまの案内とプログラムを手渡していきます。
◆14:00 「ふくしま、ひとしずくの物語」開演
【オープニング映像 「フクシマからふくしまへ」】
ふくしま再生プロジェクトの1年の活動記録からスタート。津波被災地、旧警戒区域、仮設住宅訪問、浪江町、大熊町、富岡町の仮設住宅でのチャリティコンサートの写真映像で、プロジェクトの1年の歩みを振り返ります。この映像にある、富岡町の方の「富岡に帰りたいです。家に住みたいです」というメッセージ。この切実なしずくをどう受け止めていくか、プロジェクトの問いです。
【開会の挨拶とふくしまの今】

鈴木より、今まだ町や人々の分断が続き、避難生活を余儀なくされる12万人がいる福島の現状を伝えます。「フクシマ」や「3.11」と記号化されることでこぼれ落ちる福島の思い、避難している人は、かつての故郷が彼方の向こうになってしまった切実なしずくについて話しました。
【代表 田母神顯二郎あいさつ】

代表 田母神顯二郎からの挨拶。福島は、切実で、深刻な「しずく」に満ち溢れている。悲しみの滴、怒りの滴、諦めや絶望の滴・・・、こうした言葉にならないしずくを受け止め、少しでもよい方向へ流れを変えたいと走り続けてきたメンバーの思いを話す。そして源流というもう一つの大事なしずくにたどり着き、今日はそれを届けていきたいと、語った。
【松岡校長メッセージ】

私たちの中には、平時と有事が入れ子状態になっている。福島にもたらされたのは、未曽有のものだが、この有事は一人一人の内にあるもの。これが、突然一緒にやってくると解決不能になってしまう。それが福島に起きてしまった。
一滴のしずくは、どこかに必要なものとなる。
日本には、たくさんの小さなものが集まって、全体を組み立てているものがある。
「一滴のしずくが岩をも穿つ」、古今東西で続いている、大事な見方で、素晴らしいもの。
このプロジェクトは、「しずく」をいろんなものにしていって欲しい。と語りかけてくれた。

松岡校長の言葉のしずくに、本楼は包まれていきます。
【 ふくしまへおくる言葉 インタースコア】

司会の森井一徳から、「ふくしま」を我々は彼方と考えていない。自分たちの中にも、忘れてしまったこと、失ってしまったものがあり、誰もが「福島」を持っていると思う。喪失と再生は繋がっているもので、ふくしまを編集のきっかけにして、私たちも再編集へ向かっていける、と活動を通して感じたことが語られた。
また、「ふくしまへおくる言葉」について説明。今日のひとしずくの物語を体験することで、よりリアルに、より微細に、この場で出会ったふくしまと関係性を見つけて、ここから福島へおくる言葉をつむぎたい。東京と福島を結ぶ方法を説明した。
◆14:40 第一部 「ふくしまに歌う」
【口笛とピアノの協奏】
今年7月、浪江町仮設住宅チャリティコンサートで演奏したくださった口笛奏者 柴田晶子さん、ピアニスト 松田光弘さんをゲストに招き、異郷へ誘う口笛の演奏を披露。本楼の空間に風が吹きます。

国際口笛コンクールに2回優勝。プロの口笛奏者として日本でも数少ない存在の柴田さん。能舞台、寺院、森の中など、様々なステージにも立ち演奏活動を続けています。この日は、本楼がステージ。震災関連や福島に関する本に囲まれて、遠く福島を思い演奏。柴田さん自身も、震災後、福島県郡山市に住んでいます。福島に住んで大丈夫だろうか、自分で情報を集めて、大丈夫と思って福島に来たそうです。

ピアニストの松田さんは、その場の思いを指先にのせ、繊細な音色を奏でます。再現する音楽ではなく、人の感情を掬い取ることができる方です。この日は、柴田さんのために作曲した「ココロノシズク」「つむぎ風」「水中花」も演奏。福島の哀切を引き受けて演奏した柴田さんと松田さんの思いは、月灯りの幻想的な空間の本楼に響き渡り、心に染み入るものでした。
【『智恵子抄』と『万葉集』の朗読】

劇団百景社所属の俳優 鬼頭愛さんによる『智恵子抄』より「あどけない話」「樹下の二人」「山」の朗読。抑揚がありながら、行間を託す声に聴き惚れながら、遠く安達太良山、磐梯山を忍びます。

解説を担うのは米山拓矢です。二本松は、高村智恵子のふるさと。高村智恵子は、詩人で彫刻家の高村光太郎の奥さんで、『智恵子抄』の智恵子その人です。ふくしまの名峰・安達太良山は、かつては濁音を入れずに「アタタラヤマ」と呼ばれた。頂上がぽちっと盛り上がっていることから、乳首山とも呼ばれる。アタタはアイヌ語で「乳」という意味。 まさに「母なる山」といえると語られた。
さらに、山について、松岡校長の『花鳥風月の科学』の「第1章 山」の中から一部を紹介。
|・稲作水田文化がさかえる前は、山はまさに日本の原郷だったのです。
|・日本にも古くから「山中他界」という観念がありました。
| 人々は死ぬと魂や山の彼方に飛んでいき、そこで往生をとげるという考え方です。
|・山はさまざまなイメージの母型なのです。
|(松岡正剛『花鳥風月の科学』「第一章 山」)
山とは何か、ここにどんな意味があるのか、考える時間にもなっていった。
◆15:40 第二部 「ふくしまの姿見」

8月に2日間で550キロの福島を撮影した青森出身の岡村豊彦から、「青森は東北と言っても震災の被害が少なかった。それが宮城福島の人たちへの申し訳なさがあり、ずっともやもやしていた。実際に福島を見てみよう」と、撮影のきっかけが語られた。

「福島の旧警戒区域を訪れ、3年経って日々復興と言われることもなくなり、福島は落ち着いているのかと思っていたら、津波の後もそのままで、誰も住んでいない。一方、2日目の福島撮影は、奥会津の水の清らかさ、生命力を感じるものだった」と語った。

映像に見入り、福島の今の現状に耳を傾ける参加された方々。

鈴木からは、今年5月、自宅も除染し、その除染ででた行き場のない土が今も庭に埋まっている事、それは、私たちにとって、汚染土ではなく、先祖から受け継いだ生成する力のある土であること。敗者の歴史、災厄を乗り越え生き抜いてきた先祖たちの残したものを受け継いでいく。奥会津の水、山、木々は、震災後言葉を失った私の対話の相手になっていて、そこには先達の面影があったことを話す。

福島の思いのしずくを受け止める真剣なまなざし。
◆16:40 第三部 「ふくしまへの返し歌」

第一部、第二部を受けて、参加された皆様から寄せられた「ふくしまへおくる言葉」をメンバーから紹介。
● 子どもの頃の10年間を東北で過ごした。
だから私のしずくの何分の1かは、東北でできている。
必ず身体の中にふくしまのしずくを持っている。
その滴りの音に耳を澄ますこと。
東京の小さな1滴を集めて
ふくしまの哀しみの大地をわずかでも
うるおし、新たな芽ぶきにつながれば
● 原発の被災地「フクシマ」というステレオタイプで見方を固めてしまわ
ないよう、やわらかく、ふくしまを応援していきたいです。
● 除染のための黒いビニールに包まれた「行き場のない土」は、いま場を
奪われた土は、ふくしまで失った何か、私たちがとっくに喪ってしまって
(うばわれて)いた何かのことを問うているようにも思えてきました。
● 「ふくしま」を語ることを恐れてはいけない、忘れてはいけない!
時も場所も記憶も「日本」も見つづけ、共に往還しつづけることなのですね。
● 海やまのあいだにいるわれわれは、ひとしくジプシーなのですね
土を愛し、僕も、誰にでもできる口笛を吹こう
下手クソでもいいから口笛を吹こう
風をメロディーにかえることは、木々や水たちに習うのがいい。
それをふくしまが教えてくれている。
われわれは忘れない。
3.11を忘れないのではない。
3.11をおもいだすことを忘れない。
全てのメッセージが、心打たれるものでした。ありがとうございました。
【 再生へ祈りを込めたメッセージ】

代表 田母神顯二郎から再生への祈りが語られた。「我々は一滴のしずくである。編集は一滴のしずくから始める。一滴のしずくのなかに、全てのものがある」と松岡校長の言葉を紹介。全ての歴史、全ての物語、発見すべきすべての関係性が、一滴のしずくにあるといえる。この1年、プロジェクトメンバーと東北、福島を語り合い、ふるさとや原郷を探す旅を続けた。これも私たちにとっての一滴のしずくである。その中で、喪失と再生は繋がっているのではないか、私たちが見てこなかったものに、失われつつある人間の原郷があるのではないかと考えた。
ベルクソンの言葉から、
「記憶は、物理的な空間を持たない、記憶には経験したことはもちろん、経験しないないことも含め、すべてのことが入っている。そうしたすべてのことは、記憶の中で、同時に隔てなく共存している。」
物理的な距離、時間の経過を分けることをせず、同時にモノゴトを見ると分け隔てない世界に通じることが出来る。喪失と負のしずくに満ちている福島の再生のためには、理屈ではなくいろんなことをやる必要があるが、この一滴を大切にしていきたい。と、切実を引き受けた思いが語られた。
【松岡校長からメッセージ】

自分の中の内風景を一新する時がある。内なる3月11日を誰でも持っている。父親が亡くなり、いろんな本を読んでも、書いていても間に合わない、その時に行ったのが奥会津。そこは、時の流れが、山、水、とともにあり、自分の中の最も高速なものを走らせないと滔々たるものに対応できない。滔々とするからゆっくりすればいいのではなく、一か月に渡り、緩やかな流れの中で、高層意識を持つか、ということだった。
奥会津を選んだのは、陸奥がアウトオブスペースだったからです。日本の古代の国家は、大和朝廷で、大和という境界を作る。白河の関から北を陸奥となる。なぜ福島は、日本を分断した地にいたのか、そういう場所にいたのか。
私たちは、百年一滴の境界線を、沢山持つが忘れている。京都には境界のタブーがあった。潜んでいた境界を越えなければならないとも思い、奥会津に向かわせた。それが最も尊いものに向かっていった。
創は、絆創膏の創である。記憶を刀で潰していく、これが創であって、クリエイティブである。
今は、百年一滴が見えている。自分の中の百年一滴、日本の中の百年一滴、普段見えなかったものを見ていく。と語りかけてくれた。

松岡校長から「うつくしい一刻だった」と言葉をいただきました。
参加されたみなさま、出演くださったみなさま、編工研のみなさま、
思いを寄せてくださったみなさま、本当にありがとうございました。
本楼は、切なく香ばしい泣きたくなるほど美しい空間になりました。
みなさまに感謝いたします。ありがとうございました。
レポート 鈴木康代