5/10大熊町仮設住宅チャリティ・コンサートを開催して

震災から4年2か月が過ぎる5月10日(日)会津若松市にある大熊町仮設住宅へチャリティ・コンサートで伺いました。
仮設住宅には、棟ごとに緊急を知らせる非常灯があります。一人暮らしの方も多く、体調の異変などがあった場合、仮設住宅内にあるボタンを押すとこの非常灯と音で知らせてくれます。この日のお昼、警察官がちょうど仮設住宅を訪問していて「こうして日々巡回してるんだわい」と、気軽に話しかけくださいました。孤立化が進む仮設住宅。切実な問いがあります。
当日は、大熊町へ一時帰宅で戻っている方もいました。会津若松から大熊町は、高速道路を使っても片道2時間以上はかかります。海の近い浜通りから、雪深い会津へ避難した方々は、気候に慣れるだけでも大変なことだったと思いますが、
「会津の生活にも慣れてきました」と話される方もいました。
5/10は、母の日。コンサートの曲には、「コスモス」と「ふるさと」もあり、共に歌い、共に泣き、異郷の地となってしまった大熊の故郷を思い出す時間となりました。

ある方が、「ふるさとは、涙が出てだめなんです。私の家は、双葉翔陽高校の近くなんです。あの先の角で」と語り掛けて下さり、お互い点在する記憶を繋ぎ合わせ、大熊町の風景をアタマの中で描き出そうとしました。
震災から4年が過ぎ、どのように避難してきたかを自らの言葉で語ろうとする方もいました。震災直後は、壮絶な現実を語る言葉を持たなかった私たちは、喪失した言葉を探し始め、手探りながらも自らの体験を語り、他者と共有しようとしていると感じました。
記憶は想起されるのを待っていて、そのきっかけを私たち福島県民は探しているのかもしれません。
震災後、住み慣れ、隣近所も良く知る仲になったこの仮設住宅も、近い先になくなり、みなさんは、復興住宅や借り上げ住宅へ引っ越しを余儀なくされます。
福島の復興は、数値化され語られていますが、そこには反映されない小さき声が多数あります。
その「ふくしまの声」を聞き、「ふくしまを知ろうとすること」が、今、必要とされているのだろうと思います。

帰宅困難区域の地域は、今もバリケードで区切られています。
<2015.4.12撮影 夜ノ森の桜>