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【10/11ご報告】ふくしまを考えめぐる一日開催報告(2)

◆郡山市富田町にある若宮前仮設住宅へ

震災から4年が過ぎ、復興住宅へ移る方も増え、空き室も多くなりましたが、親子で犬の散歩をしたり、空き地でゲートボールをしたり、非日常が日常になっているようでした。ここまでどれだけの苦労があったのあろうか。
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参加された方が「仮設住宅に暮らす方々に触れられてよかった。暮らしがあること、実感できました」と話してくれました。ふくしまの人は声を上げない、とよく言われます。怒りや無念、悔しさは誰もが持っていたとしても、まず先に、今を日常とすることが大事で、怒りは我慢するしかないのかもしれないとも考えていました。

●被災地へ、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町

常磐自動車を通り、楢葉町、富岡町へ向かいました。
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震災から4年7か月の富岡駅前です。放射線の影響もあり、建物を取り壊すにも問題があるそうで、震災当時と変わらぬままの風景です。

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倒壊した家屋もそのまま、窓からは当時の衣類がそのままかけられています。

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草に囲まれた富岡駅のプラットホーム。むこう側の黒いフレコンバックの山は除染で出た土が入っています。ここに来るたびに、増えています。白い建物は、建設されたばかりの放射線が低い可燃物の仮置き場です。駅が取り壊され、可燃物の仮置き場が建設される。ここは、今も有事なのだと思います。

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◆国道6号線で、双葉町、大熊町、浪江町を通ります。
 この道は、自動車のみ通行可能になりましたが、車を停車したり、車から降りたりすることは未だに出来ません。

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至る所、バリケードがはられ、人の進入を拒んでます。

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人の出入りのない店舗は雑草に囲まれています。

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除染土を入れた黒いフレコンバック。

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震災から4年7か月。田畑の境は草に覆われ分からなくなっていました。ある農家の方が、「田植をしないと土が荒れてしまう」と話していたことを思い出していました。

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浪江ICから常磐自動車道に入ったところの放射線の数値。この日、通った道で一番数値が高いのがここでした。

ご参加いただいたみなさまの感想は、次にお届けします。

ご協力、ご支援いただいたみなさま、ありがとうございました。

レポート 鈴木康代

【10/11ご報告】ふくしまを考え巡る一日開催報告(1)

2015年10月11日(日)、小雨が上がった郡山からふくしまを考え巡る一日は始まりました。
文字色この日の参加者は、福島県内からの方もいれば、東京から新幹線でいらした方もいました。10時郡山駅に集まり、駅前広場にある放射線モニタリングポストの説明をしてから、マイクロバスに乗り込みました。
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福島県内のモニタリングポストは、4,700箇所あります。この数値がリアルタイムで文部科学省HPで見ることができます。私の職場にはありますが、年に一度の定期点検があり、その作業だけでもどれだけの手間がかかっているのだろうかと思うこともしばしば。

●富岡町3.11を語る会

最初の訪問先は、郡山市長者にある富岡町3.11を語る会。7月に開設したばかりで、ここで震災の語り部の方々から話を聞くことができます。今日は、震災の日、中学の卒業式だったという現在20歳の小椋くんと富岡町でお店を経営していた仲山さんから震災から避難生活、そして今に至るまで話を聞きました。
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(小椋くんから震災の話をうかがいます)

震災の翌日、富岡町から川内村へ避難をしたものの、原発から50キロ以内が危険という話が出て、郡山へ移り、その後、茨城へ家族と従妹たち11人で避難をしたそうです。
避難の途中、車を運転していたのはお母さん。その車中で、お母さんは、不安からストレスが溜まり、泣きながら怒っていたといいます。これまでそんなことがなかったのに、、、そう思っていたそうですが、子供も母の状況を考え、何も言わず受け止めていたそうです。祖母は、友人がいなくなり孤立し、富岡に帰りたいと言い、自分はゲームに夢中になるしかなかった。けど、母は「勉強しなさい」と言う。勉強道具は自宅に置いてきたのにもかかわらず。
震災から1か月半が過ぎた頃、高校が始まり、当初入学予定の高校は警戒区域内のため進学を断念し、避難先に近い高校へ編入学して高校生活が始まった。最初は、誰とも話せなかったが、少しずつ友人ができて、変わっていったといいます。
震災をきっかけにたくさんの縁に恵まれ、自分の半径が増えたと考えたら、気が楽になった。原発事故の受け止め方、考え方を変えていこうと思ったと話していました。
今日の縁も大切にしたい、と言葉を結びました。

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(富岡町の仲山さん)

仲山さんも避難の過程は、その道中だけでなく家族内でも大変な思いをされたそうです。今は、富岡町へ一時帰宅をするたびに、人のいない、無音のおそろしさ、世の中に私だけだろうか、と感じていたと言います。何も変わらない、音のない町、そう自分の故郷を語っていました。

富岡町に一時帰宅をする時は、必ず富岡駅に立ち寄っていたそうです。津波のあとの富岡駅は、以前のカタチではないものの、「よし、がんばっか」と駅をみるとそう思えた。しかし、富岡駅は、今年のはじめ取り壊されました。これをテレビのニュースで知り、心のよりどころを失った気持ちになったそうです。原発事故の時も、住民はテレビのニュースで知ることになり、置き去りにされていると感じてしまうと話してました。

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(取り壊される前の富岡駅 スライドにて)

駅というのは、町のシンボルであり、そこに住む人々の成長や行き交う人の物語、町の繁栄を記憶するトポスであるのかもしれない。人々が生業を持ち、暮らしがあって町になっていくものですが、帰宅困難区域や避難準備区域の境界の引き方は、地図上の数値によるもので、何かが大きくズレていることが伝わってきました。
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震災の体験、今の心境を語れる場があること、縁が繋がっていくこと、何よりこれを大切にしたいと話してくれました。

震災から5年目に入り、福島の今の状況に慣れてしまう時もありますが、やはり、文字にならない声に耳を傾けていかなければと思います。

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レポート 鈴木康代
プロフィール

事務局 

Author:事務局 
代表 田母神顯二郎
(明治大学文学部教授)

活動内容 (2013年~)
・「仮設住宅訪問活動(チャリティコンサート開催)」(富岡町、大熊町、浪江町など)
・「福島考え巡る1日企画実施(震災語り部と被災地ツアー)」
・「東京と福島を繋ぐ復興イベント開催」(明治大学、豪徳寺開催)
・「福島新発見(福島の知宝の掘り起し)」など

メンバー 8名
事務局 鈴木
所在地 福島県県郡山市

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