【12/23開催】「ふくしま新発見講座 地方学(ぢかた)入門」
ご挨拶
私たち「ふくしま再生プロジェクトの会」は、東日本大震災直後から福島県内でボランティア活動を続けてきた鈴木康代を中心に、
松岡正剛氏が主催するイシス編集学校で知り合った有志が集まり、三年前に結成されました。
これまでチャリティ・コンサートや仮設住宅訪問、被災地見学ツアー、月刊誌「エディットふくしま」の刊行などを通し、〝心と心
をつなぐ〟ということを大切にしながら、震災と原発事故で深く傷ついた福島の人たちに寄り添い応援する活動を行ってきました。また、福島の人たちの「声」や現状をできるだけ他地域のひとに伝えることにより、福島で起きていることを〝自分事〟として考えてくれる人たちを少しでも増やし、孤立と分断が進む福島の現状を少しでも変えていくことを目指してきました。
震災後4年9ヶ月が過ぎた今も、10万人以上の福島県民が避難生活を余儀なくされています。農業を始め産業の一部に回復の兆しが見られるものの、風評や無理解のため取引価格は低く抑えられたままで、真の復興からはほど遠い状況にあります。
今回私たちは、福島という〝土地〟で生きることの意味を確かめながら、未来に何かをつなげていくために、一歩一歩、歩み始めている方たちを紹介したいと思います。同時に、〝中央〟から押しつけられたものではなく、〝その地に根ざした〟独自の文化の価値を再評価するための思想と方法を確立していきたいと考えています。
そのためのヒントが、明治末年、新渡戸稲造や柳田國男らによって唱えられた「地方(ぢかた)学」という発想です。「地方(ちほう)」という言葉が、結局は「中央から見た地方」という構図を暗黙のうちに負わされてしまうのに対し、新渡戸や柳田らの唱えた「地方(ぢかた)学」は、自分たちの郷土への愛と知識を深め、誇りをもって自立していくために構想されたものです。またこれは急速に西欧化が進む中にあって、「日本という方法」(松岡正剛)を守りぬき、世界における日本独自の道を創造するためのものでもあったのです。
とはいえ、堅苦しい座学の会にするつもりはありません。 私たちが取材した福島県川内村とそこでユニークな農法を実践されている秋元さんの話や大熊町で被災され別の土地で第二の人生を歩み始めた池田さんの話を通し、今の日本に欠けているもの、ひいてはこれからの〝編集〟に求められるものを共に考え、語り合う会にできたらと思います。
ささやかながら、福島の美味しいお菓子や名物もご用意いたしますので、どうかお気軽にご参加ください。心よりお待ち申しあげております。
なお、皆様からいただきました活動支援金は、2016年3月に行われる福島でのチャリティーコンサートの費用にあてさせていた
だきます。
「ふくしま再生プロジェクトの会」
田母神顯二郎
鈴木康代
記
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タイトル 「ふくしま新発見講座 〝新地方(ぢかた)学入門〟」
日時 2015年12月23日(水)14:00~17:00(受付開始13:30)
場所 イシス豪徳寺本楼(編集工学研究所)
お申込み E-mail skyasu39@ybb.ne.jp
TEL 090-8782-2774
担当 鈴木康代
(お問い合わせもお気軽にどうぞ)
*活動支援金として当日2000円ほどご用意いただけると幸いです。
================================
【編集工学研究所】

[住所]
〒156-0044 東京都世田谷区赤堤2丁目15番3号
tel: 03-5301-2211(代表)
[アクセス方法]
・小田急線・豪徳寺駅より徒歩7分
・東急世田谷線・山下駅より徒歩7分
[駅からの道順]
・山下商店街を直進し、「松原六丁目」交差点を左折。
赤堤通りを2分ほど直進、右手に見える白い建物が編集工学研究所です。
赤い文字の「ISIS」の看板が目印です。
[タクシーの場合]
・赤堤通りを環7方面から環8方面に向かって右側、
松原6丁目交差点から、3つ目の路地の角です。
私たち「ふくしま再生プロジェクトの会」は、東日本大震災直後から福島県内でボランティア活動を続けてきた鈴木康代を中心に、
松岡正剛氏が主催するイシス編集学校で知り合った有志が集まり、三年前に結成されました。
これまでチャリティ・コンサートや仮設住宅訪問、被災地見学ツアー、月刊誌「エディットふくしま」の刊行などを通し、〝心と心
をつなぐ〟ということを大切にしながら、震災と原発事故で深く傷ついた福島の人たちに寄り添い応援する活動を行ってきました。また、福島の人たちの「声」や現状をできるだけ他地域のひとに伝えることにより、福島で起きていることを〝自分事〟として考えてくれる人たちを少しでも増やし、孤立と分断が進む福島の現状を少しでも変えていくことを目指してきました。
震災後4年9ヶ月が過ぎた今も、10万人以上の福島県民が避難生活を余儀なくされています。農業を始め産業の一部に回復の兆しが見られるものの、風評や無理解のため取引価格は低く抑えられたままで、真の復興からはほど遠い状況にあります。
今回私たちは、福島という〝土地〟で生きることの意味を確かめながら、未来に何かをつなげていくために、一歩一歩、歩み始めている方たちを紹介したいと思います。同時に、〝中央〟から押しつけられたものではなく、〝その地に根ざした〟独自の文化の価値を再評価するための思想と方法を確立していきたいと考えています。
そのためのヒントが、明治末年、新渡戸稲造や柳田國男らによって唱えられた「地方(ぢかた)学」という発想です。「地方(ちほう)」という言葉が、結局は「中央から見た地方」という構図を暗黙のうちに負わされてしまうのに対し、新渡戸や柳田らの唱えた「地方(ぢかた)学」は、自分たちの郷土への愛と知識を深め、誇りをもって自立していくために構想されたものです。またこれは急速に西欧化が進む中にあって、「日本という方法」(松岡正剛)を守りぬき、世界における日本独自の道を創造するためのものでもあったのです。
とはいえ、堅苦しい座学の会にするつもりはありません。 私たちが取材した福島県川内村とそこでユニークな農法を実践されている秋元さんの話や大熊町で被災され別の土地で第二の人生を歩み始めた池田さんの話を通し、今の日本に欠けているもの、ひいてはこれからの〝編集〟に求められるものを共に考え、語り合う会にできたらと思います。
ささやかながら、福島の美味しいお菓子や名物もご用意いたしますので、どうかお気軽にご参加ください。心よりお待ち申しあげております。
なお、皆様からいただきました活動支援金は、2016年3月に行われる福島でのチャリティーコンサートの費用にあてさせていた
だきます。
「ふくしま再生プロジェクトの会」
田母神顯二郎
鈴木康代
記
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タイトル 「ふくしま新発見講座 〝新地方(ぢかた)学入門〟」
日時 2015年12月23日(水)14:00~17:00(受付開始13:30)
場所 イシス豪徳寺本楼(編集工学研究所)
お申込み E-mail skyasu39@ybb.ne.jp
TEL 090-8782-2774
担当 鈴木康代
(お問い合わせもお気軽にどうぞ)
*活動支援金として当日2000円ほどご用意いただけると幸いです。
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【編集工学研究所】

[住所]
〒156-0044 東京都世田谷区赤堤2丁目15番3号
tel: 03-5301-2211(代表)
[アクセス方法]
・小田急線・豪徳寺駅より徒歩7分
・東急世田谷線・山下駅より徒歩7分
[駅からの道順]
・山下商店街を直進し、「松原六丁目」交差点を左折。
赤堤通りを2分ほど直進、右手に見える白い建物が編集工学研究所です。
赤い文字の「ISIS」の看板が目印です。
[タクシーの場合]
・赤堤通りを環7方面から環8方面に向かって右側、
松原6丁目交差点から、3つ目の路地の角です。
【10/11開催報告】ふくしまを考え巡る一日の感想(3)
2015.10.11開催しました「ふくしまを考えめぐる一日」に参加された方から感想をいただきました。こちらをご紹介いたします。
●●
語り部のお二人の話を伺い、津波のあと、ほとんどそのまま時間の止まった
富岡駅前に下り立ち、人のいなくなった町を走り抜けて、
原発事故のとりかえしのつかなさに、愕然としました。
宮城や岩手で津波被害が甚大だった場所とは、
喪失の質がちがうのではないか、と感じました。 (東京都女性)
●●
福島第一原発付近の警戒区域を巡り、除染の現場や人がいない町は、
今でも東京では想像ができない状態でした。 (神奈川県女性)
●●
語り部の方々の話、
仮設住宅、そして警戒区域の様子……。
本当に貴重な体験だったと思います。 (東京都男性)
●●
郡山駅から始まったふくしま訪問。
駅を出ると広場には県内に数千あるという線量計が迎えてくれました。
どこでもドアで「震災にあった福島」に飛び出したかのような錯覚さえ感じました。
その後、向かった禁止区域で見た駅舎が取り壊された富岡駅。その目の前の天地
逆さまの自家用車たち。
通過することだけが許されている道路脇で、すくすくと伸びたセイタカアワダチソウ。
すべてが事実。まず知らなくては、と強く強く思い知らされました。 (東京都男性)
●●
郡山は力強い街だなあ、と思いました。
まず、郡山にある「富岡町3.11を語る会」の語り部さんから、震災から避難時の体験、現在までの富岡町住民の取り組みを聞きました。そのあと、仮設住宅内にある「おだがいさまセンター」へ。
集会所内の様子や富岡町民向けFM放送を発信しているFM局を見せていただきました。
集会所の本棚には様々なジャンルの書籍があり、所内だけでなく、郡山・いわきで行われる催しのチラシが揃っていました。
ちょうど一昨年前に、川俣・南相馬・小高・富岡・相馬・霊山・松島・石巻と被災地を回って、体験談を聞いていたのですが、
仮設住宅を訪問することができず、この一年ずっと心に残っていまし た。
情報から受ける印象でなく、今回、実際に仮設住宅を訪れ、5年近い時間をかけ人の力で培われてきた「場」を感じることで、
私の中にとても大きな安堵が生まれました。
鈴木さんや田母神代表が説明して下さった仮設住宅の現状が有する様々な問題を含め、「場」を体感し身体に移しとることから生まれる安堵です。
「この時期は、たわわに実った柿を見るのが一番切ない…」
車中、鈴木さんの言葉の先には、旧警戒区域の庭先の柿の木の実が鈴なりになっていました。
取りに帰る人のいない柿の実。震災から5度目の秋の、5度目の実。
そのオレンジ色の実は、私には、当日の雨交じりの空に浮かぶいくつもの夕日のように眩しかったけれど、鈴木さんは、痛そうな眼をして、家々の柿を見つめていました。柿とその家の人々のかつての暮らしが見えていたのかもしれません。
一年ぶりに訪れた、富岡町駅前は、シンボルであった駅名板が撤去され、線路から向こうの広大な土地に、低線量汚染物の処理所ができていました。右側の小さな丘の向こうには焼却炉ができていて、高濃度汚染の駅前の建物はそのままでしたが、「確実にできることから前進している」という実感がありま した。
今、まぶたに富岡駅前の光景を思い浮かべると、
「悲劇のままでは終わりたくない。ぼくはもっとポジティブでありたい」
郡山でそう語ってくれた富岡出身の21歳の語り部青年の姿が思い返されます。
前進する福島と私の身体に移しとった福島、その共鳴し合う二枝が多枝にそだち万果の実るまで見届けることができますように。
貴重な体験をありがとうございました。 (東京都女性)
●●●
復興が進む福島も、震災から時が止まったままの福島も、どちらもみえにくい現状があります。
福島は、浜通り、中通り、会津地方と三地方に分かれ、歴史の歩みも人々の生業も異なり、
各地域ごとに複雑な背景があります。
ただし、そこには、寒暑厳しい地を受け入れ、暮らしてきた先達の面影があります。
豊かさとは何か、進む復興と止まった町の両極にある福島を考えながらの
一日になりました。
みなさま、ありがとうございました。
●●
語り部のお二人の話を伺い、津波のあと、ほとんどそのまま時間の止まった
富岡駅前に下り立ち、人のいなくなった町を走り抜けて、
原発事故のとりかえしのつかなさに、愕然としました。
宮城や岩手で津波被害が甚大だった場所とは、
喪失の質がちがうのではないか、と感じました。 (東京都女性)
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福島第一原発付近の警戒区域を巡り、除染の現場や人がいない町は、
今でも東京では想像ができない状態でした。 (神奈川県女性)
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語り部の方々の話、
仮設住宅、そして警戒区域の様子……。
本当に貴重な体験だったと思います。 (東京都男性)
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郡山駅から始まったふくしま訪問。
駅を出ると広場には県内に数千あるという線量計が迎えてくれました。
どこでもドアで「震災にあった福島」に飛び出したかのような錯覚さえ感じました。
その後、向かった禁止区域で見た駅舎が取り壊された富岡駅。その目の前の天地
逆さまの自家用車たち。
通過することだけが許されている道路脇で、すくすくと伸びたセイタカアワダチソウ。
すべてが事実。まず知らなくては、と強く強く思い知らされました。 (東京都男性)
●●
郡山は力強い街だなあ、と思いました。
まず、郡山にある「富岡町3.11を語る会」の語り部さんから、震災から避難時の体験、現在までの富岡町住民の取り組みを聞きました。そのあと、仮設住宅内にある「おだがいさまセンター」へ。
集会所内の様子や富岡町民向けFM放送を発信しているFM局を見せていただきました。
集会所の本棚には様々なジャンルの書籍があり、所内だけでなく、郡山・いわきで行われる催しのチラシが揃っていました。
ちょうど一昨年前に、川俣・南相馬・小高・富岡・相馬・霊山・松島・石巻と被災地を回って、体験談を聞いていたのですが、
仮設住宅を訪問することができず、この一年ずっと心に残っていまし た。
情報から受ける印象でなく、今回、実際に仮設住宅を訪れ、5年近い時間をかけ人の力で培われてきた「場」を感じることで、
私の中にとても大きな安堵が生まれました。
鈴木さんや田母神代表が説明して下さった仮設住宅の現状が有する様々な問題を含め、「場」を体感し身体に移しとることから生まれる安堵です。
「この時期は、たわわに実った柿を見るのが一番切ない…」
車中、鈴木さんの言葉の先には、旧警戒区域の庭先の柿の木の実が鈴なりになっていました。
取りに帰る人のいない柿の実。震災から5度目の秋の、5度目の実。
そのオレンジ色の実は、私には、当日の雨交じりの空に浮かぶいくつもの夕日のように眩しかったけれど、鈴木さんは、痛そうな眼をして、家々の柿を見つめていました。柿とその家の人々のかつての暮らしが見えていたのかもしれません。
一年ぶりに訪れた、富岡町駅前は、シンボルであった駅名板が撤去され、線路から向こうの広大な土地に、低線量汚染物の処理所ができていました。右側の小さな丘の向こうには焼却炉ができていて、高濃度汚染の駅前の建物はそのままでしたが、「確実にできることから前進している」という実感がありま した。
今、まぶたに富岡駅前の光景を思い浮かべると、
「悲劇のままでは終わりたくない。ぼくはもっとポジティブでありたい」
郡山でそう語ってくれた富岡出身の21歳の語り部青年の姿が思い返されます。
前進する福島と私の身体に移しとった福島、その共鳴し合う二枝が多枝にそだち万果の実るまで見届けることができますように。
貴重な体験をありがとうございました。 (東京都女性)
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復興が進む福島も、震災から時が止まったままの福島も、どちらもみえにくい現状があります。
福島は、浜通り、中通り、会津地方と三地方に分かれ、歴史の歩みも人々の生業も異なり、
各地域ごとに複雑な背景があります。
ただし、そこには、寒暑厳しい地を受け入れ、暮らしてきた先達の面影があります。
豊かさとは何か、進む復興と止まった町の両極にある福島を考えながらの
一日になりました。
みなさま、ありがとうございました。