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【Report】12月23日「ふくしま新発見講座“新地方学”入門」

12月23日(水)、東京豪徳寺の編集工学研究所ブックスペース“本楼”にて「ふくしま新発見講座“新地方学”入門」が開催された。
東京公演は、第1回「宮沢賢治と再生の物語」(明治大学)、第2回「ふくしまひとしずくの物語」(本楼開催)に続く3回目。震災から4年9か月が過ぎたフクシマの今に軸足を置き、明治末期に新渡戸稲造や柳田国男が唱えた「地方学」を取り上げ、福島の「地に根差すもの」の方法を探った。

急な告知にもかかわらず、「東京では福島の報道を見なくなった」「今の福島を知りたい」と震災を考える契機にしたいと開催前から反響があり、当日急遽申込みした方も駆けつけた。

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装丁が目を引く『川内村史』

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手にとれるよう震災関連や地方学の本も並べられた。

●オープニング

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代表・田母神顯二郎より「22日は冬至。冬至からクリスマスは昔から節目の季節。一つのことが終わり、新しいことが生まれる再生の時でもあります。福島の再生を願い、活動している私たちもここで生まれ変わって活動を続けていきたいと思っていますのでよろしくお願いします」と挨拶。

鈴木からは、震災から4年が過ぎ、震災体験の言葉を紡ぎ語り始めた人々や福島と人々の遣る瀬なさを話す。
急ピッチで進められる復興公営住宅の建設。その一方で、仮設住宅から復興住宅へ入居した方は「仮設住宅は大正時代の長屋の様で良かった。ここはドアを閉めると静まり返る。まるで監獄のようだ」と話していたこと。
県内各地で進む除染でも「山の1センチは100年分、表土5センチは500年分。これが除染で剥ぎ取られる」と語った農家の方。矛盾、不合理を内包しながら生きる福島の人々の姿が伝えられた。

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司会森井一徳は、「鈴木さんの肉声が福島を感じる。巷で報道されている福島の部分もあるけど、分かり切れないこと、感じられていないこともある。これを感じられるのがこの活動です」と言葉を添えた。

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「福島原発難民とはなにか、非常に難しい問題だ」と松岡正剛校長。

震災から1,2,3年経って、感情として吹き上げてくることを語るのはなかなか難しい。その時代の全てを集約しながら捩れ、ストレートに出ていく。3.11直後だと、聞く耳もなく浮いてしまったものが、5、10年過ぎると見えてくることがある。これまで震災を語ってきた言葉が違うのではないかと、自分たちの言葉を作っていく。福島難民の物語を言葉にしていく、どうなっていくかは楽しみにしたい。

また、復興、イノベーション、政府や自治体の復興力と自分が復興したと思えることがまた違う、この二重性、多重性がとても難しい。物理的に破壊されたものが復興することで見えることがある。これはこれからも抱えていく問題。

新地方学も大事。どこで郷土を語るのか、そこの奥に潜んでいる、メタなアーキタイプを語るのか。
地方学は、新渡戸稲造や柳田国男たちがはじめたものだが、どの故郷の物語というのではなく、柳田は語りに衝撃を受ける。
この出会いがなければ、遠野物語が生まれなかった。誰か語り部がいないと出ないもの。

福島原発難民にはすごくたくさんの課題、宿題が潜んでいるのだろうと思う、
この会が、蕾を突破する何かを見出したようなので、今日はそれを見たいと思う。と語った。

●天の部/地に根差すものと編集:新地方学への誘い … 田母神顯二郎

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最初に「学問には、臭みがある、よくよくこの臭みをとってから使うようにしなさい」と三浦梅園の言葉を紹介する田母神代表。
福島に関わり、文化や自然や歴史を経験し、学んでいるのは自分の方。中央と地方の問題。中央は良かれと思っているが、地元が望んだものではないズレ。これが3.11後のフクシマの状況に如実にあらわれている。実はこれが、明治でも問題になっており、これが地方学の原点。
一筋縄にはいかないもので、今日のイベント全体を通して、感じ取って欲しい。

「エディットふくしま」を創刊したのは、福島のことを多くの人に知ってもらいたいからである。福島の宝を縦横無尽にパサージュして、フクシマ再生の突破口を開ければと思っている。私たちは、変化してやまない福島の今を編集している。動いていく福島をどう編集し、伝えていくか。今、福島では、全ての人々が、日々必死に編集している。福島を編集するのは、編集する福島を編集する。編集している人を編集すること。
福島の三つの山脈でわかれた浜通り、中通り、会津地方の特徴を説明し、江戸時代14藩に分かれたいた歴史を振り返り福島を「多島海」と名付けたい。福島は超部分。部分は部分でも、全体に属している訳でなく、一種の断片、断片であるけど全体である、その超部分であると考えている。言い換えると超地方、超地域という言葉になるだろう。
福島のことを考える時には、「地」に根差したものと「天」の両方考えていきたい。人は、その間で耕していく。人も天や地に繋がっていることを思い浮かべて、ふくしまの編集に向かうことが大切なんだと思う。と語った。

●地の部/蛙の里・川内村探訪記:映像とスライド

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阿武隈山系に囲まれた川内村。照葉樹、常緑樹が多い。常世の国と阿武隈山系が重なって見えたと田母神。
10月に訪問した時のスライドを見ながら、草野心平が住んだ天山文庫、アオモリカエルの繁殖地である平伏沼、そこにはミズナラ、ブナ、クヌギの森が広がる清流、渓流が流れる山の豊かさがあると語る。山の恵みを生業にしていた村。戦前から戦後には炭の生産が日本一で、残っていた炭焼小屋は、3.11後にすべて壊滅した。村特産のシイタケも原発事故の影響で作られなくなった。
蛙の詩人としても有名な草野心平は、この村の名誉村民。川内の里山と村民を愛した草野心平へ、村の人が天山文庫を作ってくれて、死の直前まで年に数か月、ここに暮らしていた。

川内村で知り合った15代続く農家の秋元美誉さんとは、昨年10月私たちが川内村の「林の大杉」を探している時に知り合った。土を我が子のように愛し、農薬をほとんど使わない合鴨農法を実践している。しかし、2011年、川内村が全村避難となり、村内は稲作の作付禁止地域に指定された。秋元さんは、「田んぼを休ませるわけにはいかない」と田植えをした。秋になり、収穫された稲は、作付制限された地だったため、その場で土の中に捨てられた。この日、倉庫には新米が山積みになっていた。

山と共に生きる村の姿は宇宙的なものと繋がっているのではないかと感じた。

●人の部/3.11後のフクシマを生きる

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「ふくしまを考えめぐる一日」に参加して感じたことを話す吉村さんと司会の森井さん。

震災後の釜石にも行ったが、そこの津波の後には何もなかった。これも衝撃を受けたが、福島は今も震災の時のままにある。そのままなのに人が誰もない。全く質が違う問題がここにはあることを知った、と吉村さん。

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「エディットふくしま」のデザインを担当する緒方さん。読み手にどう伝えていくか、田母神と鈴木の文章を読みながら毎回考えている。

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このあと鈴木から大熊町から郡山で避難生活を送っている池田さんの震災体験を語った。
大熊町に生まれ、原発から5キロの自宅で2011年3月12日福島第一原子力発電所一号機の爆発した音をきいた。その日から避難生活が始まる。大熊から川内村へ、そして喜多方へ。震災から4か月後郡山の借り上げアパートにはいり、2012年12月には郡山の一軒家に住む。裏には人が入らなくなった山や畑がある。池田さんは、大熊町では養蚕とたばこをやっていたが、昭和40年頃開田した。その頃、冬の仕事がなくて毎年出稼ぎをしていた。その後原発で仕事をするが、何より出稼ぎがなくなり、保険に入れたことが一番良かったという。震災から4年8か月が過ぎた頃、ようやく語り始めた震災体験だった。
今は、郡山で畑を耕し、山の切株を取り除き、豊富な野菜をこの地から生み出している。

新たな地で一歩を踏み出した池田さんの生き方は、その場にいた者たちの胸を打っていた。

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●参加者の感想

 ・鈴木さんと田母神さんだけでなく、司会進行の森井さんを含め
  みなさんの声が響いていました。「語り部」が乗り移ったようでした。

 ・田母神さんのお話し、コンパクトだけれども非常にインフォーマティブで編集的に「方法」を捜っておられる様子がズシッと伝わってきました。中央とか官とかの“悪気はないが、、、”通じない施策というものを何とかしたいですね。
鈴木さんの“池田さんの話”は「方法の時代」の到来を予感させるもので、本楼にきて本当に良かったです
 「エディットふくしま」薄くてGoodですね。
 「川内村」の経験された不条理の話を聞き、更に土地の持つちからを再認識しました。

・新聞・テレビを見ているだけでは疎遠だった福島が、今日の語りを聴いて少しだけ近づき、手触りのあるリアルな場として感じられるようになった気がいたします。福島と、福島の自然についても、もっと知りたくなりました。ありがとうございました。

・最近、被災者関連の業務があり、どうやって処理したらよのかについてもっと深く考えてみようと思っていたところ、今回のイベントの案内をタイミングよく目にしました。
初めて知ることばかりで福島に暮らす人達に心を寄せることから暫く遠ざかっていたことを改めて反省する機会となりました。

・あの日から、皆それぞれの物語を抱えて、5年近くの歳月が経ち語り始めることが出来るようになったのだと思います。何度も語ることで語り手そのものが物語を編集し続けている、そのことの意味を私自身も考えていこうと思います。語りを受け止める聞き手の存在についても思いをいたすことにしようと思います。

・手編みのような1つ1つに手を入れた現物に寄り添ったお話をうかがいました。活動の拡散速度は小さいかもしれませんが、深くしっかり伝わってくる印象を持ちました。大変でしょうが、頑張っていただきたいです。
「開拓されないもの」のお話しは印象的でした。

・ふくしまの事を自分の側に引き寄せてとらえるには、その入り口さえわからず立ちすくんだような状態でした。本日のイベントで、鈴木さん、田母神さんの“エディット”によって自分の表現のきっかけとなりそうな予感がしています。道は振り返るとそこにあった、そんな活動になると思います。貴重な機会を作って下さり、感謝しております。

・事実の持つ重みをずっしりと感じました。
「語り部」の大切さは、記録として残すことと同時に、語る側の気持ちの整理になることだと思いました。きくこと、言葉を引き出すことって大事ですね。
東北についてももっと知りたい、学ばねばなと思いました。

・500年の土のお話しから、地方学の新渡戸稲造の農の話、そして池田さんの土の話が、物語、語りとして1つに繋がり頭の中でいろいろなものことと響き合いだしました。
まだ語られたことがないこと、誰も語ったことがないものが、語られる場所の物語編集にとても興味がわきました。これからもお二人のお話しを聞きたいです。出来れば一度参加してみたいと思います。

・事実の持つ重みをずっしりと感じました。
「語り部」の大切さは、記録として残すことと同時に、語る側の気持ちの整理になることだと思いました。きくこと、言葉を引き出すことって大事ですね。

・福島をいろいろな方法視点で「かたる」ことの意味を感じました。
福島(いわき)を故郷として強く意識したのは、震災があってからです。
「多島海」の島々が、自分たちの島は「福島というくくりの地域」にある島なのだ、と強く意識するようになったのは2011.3月以降なのでは、と感じます。

・東北についてももっと知りたい、学ばねばなと思いました。
ふくしまは我が事であること、このイベントに来るといつも感じます。
それは、同じことがいつ自分の身に起こっても不思議ではないということと、人は土地に繋がっている、誰かと繋がっている存在である、ということに於いて。
これからも応援しています。

・広島からたまたま出た折にメールで知り、急遽参加させてもらいましたが、非常に充実したあっという間の3時間でした。ありがとうございました。特に人の部の鈴木さんの話は心に響きました。長く顔を突き合わせて対話をしていかないと、語り部の本音もすくいとれないし、大変なことだと思います。勝手なことを言いますが、これからも声なき声をすくいとって発信してもらえたらと思います。
広島では、被爆のこともそうですが、人々の無関心に非常に危機感を感じています。節目の時だけでなく、これから耳を傾け、私なりに発信していきたいと思いました。

・ふくしまのこと、全く知りませんでした。
地形の頃、歴史のこと、そして福島に暮らす人のことも。
手入れされていない土地を耕し、畑を再生するように、イメージが固定化され、風化された福島の情報を耕すことがエディットふくしまの役割でもあるように感じました。

・初参加です。有志の方たちと聞いていたのですが、これほど大掛かりであることにびっくりしました。
しずかなる熱気を感じました。

                               レポート:鈴木康代
プロフィール

事務局 

Author:事務局 
代表 田母神顯二郎
(明治大学文学部教授)

活動内容 (2013年~)
・「仮設住宅訪問活動(チャリティコンサート開催)」(富岡町、大熊町、浪江町など)
・「福島考え巡る1日企画実施(震災語り部と被災地ツアー)」
・「東京と福島を繋ぐ復興イベント開催」(明治大学、豪徳寺開催)
・「福島新発見(福島の知宝の掘り起し)」など

メンバー 8名
事務局 鈴木
所在地 福島県県郡山市

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