【ご報告】9月28日、富岡町おだがいさまセンター、構康憲チャリティコンサート開催!
9月28日(日)、富岡町、川内村のみなさんが住む若宮前仮設住宅内にある
「おだがいさまセンター」にて、構康憲さんのチャリティーコンサートを開催しました。
富岡町、川内村のみなさんは、震災後、「食べる」「寝る」ことしかできないビック
パレットでの避難生活が続く中、避難者自ら喫茶コーナーや悩み相談出来る
スペースを立ち上げ、生活復興に向けて動き出す活動を始めました。
この限られた避難所生活の中で「おたがいさま」の精神で「人間としての生活」を
取り戻そうと動き始めたことで、「おだがいさまセンター」と名付けたそうです。
なぜ、「おだがいさま」かというと、福島弁は、濁点をつけて発音することが多いの
で、親しみを込めて「おだがいさま」と言うのだろうと思います。

東日本大震災から3年半が過ぎた今も仮設住宅には、多くの方が住んでいます。
この日は、秋晴れに恵まれ、仮設住宅内を散歩する方やベンチで談笑する方も見られ、
おだがいさまセンターの方も、朝からコンサートを案内してまわってくださいました。
会場準備をしていると、「楽しみにしてる」とすでに待っている方もおりました。
この活動を知り、「何かお手伝いしたい」とボランティアでかけつけてくださった方もいました。

少しでもゆっくりとした時間を過ごしていただきたく、会場には、お菓子や飲み物、
いただいたお土産が並び、富岡町のみなさんとお菓子をいただき、談笑しながら
開演を待ちます。会場には、40人近くの方々が駆けつけてくださり、当初用意した
イスでは足りず、急遽、イスを設置しました。
◆ 13:30 開演です!

最初に、当会の代表田母神顯二郎より、故郷ふくしまへ、富岡町のみなさんへの
想い、そして私たちの活動についてお伝えました。参加された方から、「自分たち
を忘れないで来てくれることがうれしい」と声をいただきました。
◆いよいよ構康憲さんコンサートです!

仮設住宅訪問は初めてということでしたが、避難しているみなさまへの思いを込めて、
NHKみんなのうた「北の風と太陽と」をはじめ、「大きな古時計」や中島みゆきの「糸」
など熱唱してくださいました。
「新しい太陽が希望を未来を照らして」など、たくさんの心に染み入る歌詞が、構康憲さん
の透き通る歌声とともに、胸に響き、涙ぐむ姿も見られました。
最後は、アンコールまでこたえてくださいました。
演奏後、構さんを交えて歓談会です。
参加された方は、ご自身の心情を率直に語ってくださいました。
2011年3月11日その日の様子、12日からの川内村に避難した道のり、そして郡山市の
避難所ビックパレットに来て、避難生活の日々も話してくださいました。
ビックパレットでは、住民の方が自主的に喫茶コーナーを立ち上げたのですが、そこに
「さくら」「つつじ」など花の名前にして集いの場にしていたこともお聞きしました。
また、富岡町の今の現状、復興住宅のこと、今月開通した国道六号線のことなど、
みなさんの想いをうかがいました。
福島の人々の故郷への想いは複雑です。
先の見えない現状であっても、澄み切った構さんの歌声に励まされ、ゆったりと過ごし
たひと時であったと思います。
構康憲さんは、この後、富岡町の「おだがいさまFM」の取材を受けました。このFMは、
広い範囲で避難生活をしている富岡町の方に、町の情報を発信し、故郷を忘れない
で欲しいという想いと住民の絆を持ち続けられるようにという願いから、震災から1年
後の2012年3月11日に開局しました。
最後は、みなさんと構さんが握手を交わし、感謝の意の交換となりました。
富岡町のみなさま、構康憲さん、おだがいさまセンターのみなさま、ありがとうござい
ました。
「おだがいさまセンター」にて、構康憲さんのチャリティーコンサートを開催しました。
富岡町、川内村のみなさんは、震災後、「食べる」「寝る」ことしかできないビック
パレットでの避難生活が続く中、避難者自ら喫茶コーナーや悩み相談出来る
スペースを立ち上げ、生活復興に向けて動き出す活動を始めました。
この限られた避難所生活の中で「おたがいさま」の精神で「人間としての生活」を
取り戻そうと動き始めたことで、「おだがいさまセンター」と名付けたそうです。
なぜ、「おだがいさま」かというと、福島弁は、濁点をつけて発音することが多いの
で、親しみを込めて「おだがいさま」と言うのだろうと思います。

東日本大震災から3年半が過ぎた今も仮設住宅には、多くの方が住んでいます。
この日は、秋晴れに恵まれ、仮設住宅内を散歩する方やベンチで談笑する方も見られ、
おだがいさまセンターの方も、朝からコンサートを案内してまわってくださいました。
会場準備をしていると、「楽しみにしてる」とすでに待っている方もおりました。
この活動を知り、「何かお手伝いしたい」とボランティアでかけつけてくださった方もいました。

少しでもゆっくりとした時間を過ごしていただきたく、会場には、お菓子や飲み物、
いただいたお土産が並び、富岡町のみなさんとお菓子をいただき、談笑しながら
開演を待ちます。会場には、40人近くの方々が駆けつけてくださり、当初用意した
イスでは足りず、急遽、イスを設置しました。
◆ 13:30 開演です!

最初に、当会の代表田母神顯二郎より、故郷ふくしまへ、富岡町のみなさんへの
想い、そして私たちの活動についてお伝えました。参加された方から、「自分たち
を忘れないで来てくれることがうれしい」と声をいただきました。
◆いよいよ構康憲さんコンサートです!

仮設住宅訪問は初めてということでしたが、避難しているみなさまへの思いを込めて、
NHKみんなのうた「北の風と太陽と」をはじめ、「大きな古時計」や中島みゆきの「糸」
など熱唱してくださいました。
「新しい太陽が希望を未来を照らして」など、たくさんの心に染み入る歌詞が、構康憲さん
の透き通る歌声とともに、胸に響き、涙ぐむ姿も見られました。
最後は、アンコールまでこたえてくださいました。
演奏後、構さんを交えて歓談会です。
参加された方は、ご自身の心情を率直に語ってくださいました。
2011年3月11日その日の様子、12日からの川内村に避難した道のり、そして郡山市の
避難所ビックパレットに来て、避難生活の日々も話してくださいました。
ビックパレットでは、住民の方が自主的に喫茶コーナーを立ち上げたのですが、そこに
「さくら」「つつじ」など花の名前にして集いの場にしていたこともお聞きしました。
また、富岡町の今の現状、復興住宅のこと、今月開通した国道六号線のことなど、
みなさんの想いをうかがいました。
福島の人々の故郷への想いは複雑です。
先の見えない現状であっても、澄み切った構さんの歌声に励まされ、ゆったりと過ごし
たひと時であったと思います。
構康憲さんは、この後、富岡町の「おだがいさまFM」の取材を受けました。このFMは、
広い範囲で避難生活をしている富岡町の方に、町の情報を発信し、故郷を忘れない
で欲しいという想いと住民の絆を持ち続けられるようにという願いから、震災から1年
後の2012年3月11日に開局しました。
最後は、みなさんと構さんが握手を交わし、感謝の意の交換となりました。
富岡町のみなさま、構康憲さん、おだがいさまセンターのみなさま、ありがとうござい
ました。