【2013年11月30日】「宮沢賢治と<再生>のものがたり」開催レポート
◆「宮沢賢治と<再生>のものがたり」開催レポート ◆
◆2013年11月30日(土)、明治大学(和泉キャンパス)にて開催した
「宮沢賢治と<再生>のものがたり」の模様をお送りします。
3.11から2年半が経ち、次第に震災の記憶が薄れようとしています。
実際に、東北に住んでいる人たちの間でも、どんどん「取り残されていく」、
「忘れ去られようとしている」という声が聞こえてきていました。
この会の企画したきっかけは、東北や3.11についてみんなで考える会を
持ち、東北の支援につなげていきたい、という思いからでした。
今回の構成は、
第一部「ふくしまの今を語る」
第二部「アンヌ=エリザベット・アルペルンさんによる鎮魂歌」
第三部「おつきゆきえさんの宮沢賢治の朗読」
という三部構成。
このイベントを告知してから、「東日本大震災や東北のことを考えたかった」と
いう多くの反響をいただき、当日は、東京都内からだけでなく、山梨、名古屋、
神戸からと遠方からも参加してくれました。
当日は、会場準備から始まり、プログラムに加筆しながら、直前までリハーサル。
会場内には、福島を感じてほしいという趣旨で、福島の現状をまとめた復興記録
の資料が並び、受付には、福島銘菓「ゆべし」も用意しました。
それでは、「宮沢賢治と再生のものがたり」イベントの様子を
当日のプログラムにそってレポートしていきます。
<14:00開演>
○最初は、発起人である米山拓矢さんが、開催へ至る思いを語りました。

「来春、東日本大震災から3年を迎えようとしている中で、東京オリンピック
が決まり、世の中では、震災や東北のことを忘れがちになってきています。
その中、何か自分にできることはないだろうかと思い、今日ここに3.11に
ついて思いを共有する場を設けることができて、うれしく思います。
今回は、東京から東北の福島へ、メッセージを送り、物語を届ける支援を
したいと思っています。」
【第一部】ふくしまの今を語る
○福島県にゆかりのある田母神顯二郎さんから、来場者のみなさまへ感謝の意を
述べるとともに、日本人の原郷としての東北、福島のへの思いが語られました。
「3.11から2年と8か月あまりが経とうとしています。あの一連の出来事は、
言葉に表しようがない、まさに沈黙するしかない、そういう本質を持った事件
でした。何かしたいともいながらも、何もできなかった「情けなさ」と実感し
てきた年月でもありました。ただ、こうした無力感や沈黙の中でも、自分自身
のことを含めて、いろんなことを変えていかなければならない、という気持ち
は常に持っていました。
今日は、<ほんとうの再生>ということに向かっていくための、このような会
をみなさんと一緒に開けたことを本当にうれしく思っています。」
○次に、田母神さんからのインタビューを受けながら、福島に住み、震災後、仮設
住宅訪問などの活動をしてきた鈴木が、福島の今を話しました。

「避難された方と話すと、まず最初に、原発事故後に避難した様子を語り始めます。
町でサイレンが鳴り、すぐ帰れるだろうと思って車で避難したけど、二度と帰れな
かったといいます。それから、避難所での生活、転々とした日々も話します。
私自身、震災後は、言葉が空っぽになってしまいました。目の前の状況を説明する
言葉がなくなりました。福島には、今も、行き場のない瓦礫があります。言葉も
瓦礫になってしまいました。まだ言葉にならない感情が、私たちの内にたくさん
あります。福島の土も今除染されています。私たちは、それを排除するのではく、
いいことも、悪いことも、全部引き受けて生きてきた土地なのだろうと思います。」
会場のみなさんは、真剣に、福島の現状の話に耳を傾けてくださいました。
【第二部】Anne-Elisabeth Halpern アンヌ=エリザベット.アルペルンさんの歌とギター
ランス大学でフランス詩を教え、パリの国立音楽院(コンセルヴァトワール)を出た
音楽家のアルペルンさん。今回の趣旨に賛同し、東北、福島のために歌を捧げたいと
のことで、当日は、澄み切った歌声で、まさに東北の人だけでなく、私たちに響きわ
たる歌を演奏してくれました。

前半は、永遠に旅立たれた方々に捧げるエレジー。
後半は、残された私たち、今を生きている方々を励ます曲を演奏されました。
最後に演奏された曲は、Raymond Jean-Marie 「Kizuna」、この曲は、
レーモンが、東日本大震災へのレクイエムとして私たち日本人へ、友情の
証として捧げられた曲でした。
国境も空間も越えて、人間の根本に響く演奏でした。
通訳の高瀬智子さんが、アルペルンさんの詞の意味を会場に伝えてくださいました。
【第三部】 おつきゆきえさんによる宮沢賢治の朗読

(写真は、朗読後花束をもらったおつきゆきえさんです)
山形出身のおつきゆきえさん、幼少期しか住んでいないというが、東北弁の
独特の濁点のあるアクセントや節回しは、まるで東北にいるような感覚にな
りました。
朗読の合間には、おつきゆきえさんの宮沢賢治に対する強い思いを語ります。
「生きることの意味を見つからないという人がいるが、私たちは何があって
もいきていかなばならない」と、会場の全員に語りかけました。
○最後には、出演者、それぞれから本日の御礼と福島への思いが語られました。
「12月21日には、福島県郡山市でみなさんの思いをしっかり伝えます」
○東京と福島をつなぐものとして、参加した方々から「福島へのメッセージ」をいただきました。
今日感じたこと、福島への思いなどを、会の終了後に、みなさん熱心に書いてくれました。

いただいたメッセージの一部をご紹介します。
・東京で何もできないかのような歯がゆさを感じながらも
少なくとも忘れない、ということだけは自分に課したいと思っています。
・とても素晴らしい会をありがとうございました。
音楽と言葉の力を強く感じました。
涙が止まらなかったです。
・言葉にならないでガレキのように置き去りになっていることたち、
そこでしかつながらない部分も確かにあって、
今日の哀歌や鮮烈な語り、このイベントそのものが魂の中にある
ガレキのここと向こうをつなげてくれているような気がしました。
郡山にも行ってみたい、と思いました。
・何も問題が解決しないまま、時間だけが過ぎてゆき、
私自身も何もできずに、もどかしく思っています。
けれども、東北のことはいつも考えています。
今日の会では、亡くなった方々に思いをはせるだけでなく、
本当の意味での「再生」が、音楽と詩(文学作品)を通して
共有できたと思います。
無力ではありますが、いつでも心は思っています。
・何かしたいと思ってもなかなか何もできなくて…
今日のこういう会に参加できて良かったです。
東北の、福島の人たちに私たちの負を背負って頂いていると実感しました。
何かできるかわからないのですが、何かできることがあればと思います。
○今まで言葉にしなかったことをあえて言葉にしてみると、みえてくることがあります。
東日本大震災は、被災地だけでなく、被災地以外の皆さんにも心の傷となって刻まれ
ていることがよく分かります。
福島と福島以外、被災地と被災地以外、そんな境界線はないことがみえてきます。
多くの境界が生まれつつありますが、それをこえて活動していきたいと私たちも思い
を新たにいたしました。
○この後、出演者と参加者のみなさんで、懇親会へ移りました。
その場では、次のような感想がありました。
・「東北を考えたいと思っていたけど、なかなか機会がなかった。この場が
あって良かった」
・「まずは、住んでいる人の話を聞くことが、復興の第一歩なのかもしれない」
・「自分の無力感ばかり多かったけど、考えることから始めたい」
など、遅くまで東北、福島のことを語り続けました。
ご参加いただいたみなさま、ご協力ご支援いただいたみなさま、
本当にありがとうございました。